いろーんな失敗して今ここ!
うぎゃあああああ!!
ってこの世の終わりのような子供の叫び声が銭湯に響き渡っていますのっぽです。
何事かと思ったら韓国式ツボ押しマッサージ受けてたみたいっすね。
マジだれとくですか?白目
最近元気してるの?
のっぽくんは今まで何してたの?
みたいな声たくさんあったのでつらつらしたいと思いますよ!」チケぇ!!
1個1個書くと長くなっちゃうので総集編って感じで!
2010年名城大学 入学
ってそこからですか?笑
みたいな感じだけど、わかりやすいのでここから。
ここで2年生まではずっとバスケしてました。(僕は真面目です。)
名古屋に住みながら犬山の方のチームでやってたので週3は地元に帰って、ほかは家にいてッて感じ。
その間に3年間ためたサークル費を先輩の誕生日に使ってクソほど怒られたり、
週1時間大学に行ってフルタンとったり、大学1年で岩塚に夢のマイホーム手に入れたり、友達の誕生日に10万円使ったり、THE・大学生!うい~!!という悠々自適な生活を送っていました。
この間にモデルやったり古着に毎月10万使ったりオシャレボーイだったのも今では1ミクロンも感じられません!笑
そんなこんなでうだうだと行く中で「このままじゃダメ!もっと大空に羽ばたきたい!!」
なんて少年ジャンプの主人公みたいなことを思いバンクーバーに留学(というか遊び)そこでフィリピン人とバスケしたり、イラン人とバスケしたりしてました!←ばすけばっかやないかーーい
そんななかですごく熱い人がいてその人の熱い夢とかビジョンとか聞いた時に、
自分ももっと世界を変えたい!社会を変えたい!!そう思い始めたんですね。
そこで日本帰ってどうしたら良いかわからなかったんだけど、とりあえず海外行って人生変わってめっちゃ楽しくなったからもっと多くの人に海外行って欲しいと思って支援団体の立ち上げをして、ただたちあげるだけじゃ面白く無いから海外経験者と、海外希望者のマッチングサイトの作成をしました。
結果としてはリストは集まって、サイト作成の話まで行ったのですが、サイト作るときにお金めっちゃかかるよってところで諦めました。
今思えばそんなにお金かからないのに・・・。(泣)
でもでもそんななかでやっぱり海外すごい好きで海外みんな言って欲しいなー。
ッて思ってたんですね。
そしたらワールドベンチャーってネットワークビジネスの話が入ってきたんです。
そのビジネスは定期的にお金を払えば海外に格安で行けるってサービスだったんですね。
なんてすごいサービスなんだ!!
そう思ってそんときにセミナーとかであってた経営者の人とかに紹介したらめっちゃ怒られましたww
あ、社会って厳しい。
そう痛感させられる瞬間でした。
怒られたあと家帰ってめちゃ泣いてましたからね。論破されすぎて。
あー、ネットワークビジネスってそんな社会的評価されないものなんだなー。と思いました。
んでんで、そうした活動をしながらもいろんな意識の高い人達に会っていく中でじゃあどうしたら世界を変えることができるのか?って考えがすごく強くなって、
いろいろあるけど結局影響力がすごく大事だって話になって、何で影響力を発揮するのか?
ってとこに行き着いたんです。
ってなった時に「金」という分野で影響力を持とう!
そう思ってインターネットビジネスを始め、輸入とか輸出とかやってて、イタリアからエスプレッソマシンとか取り寄せてたんですけど割りと稼げたんですね。
ただおもしろくなかったんで同時並行で名大のためのやつが立ち上げてた株式会社パシードって会社でシェアハウスの立ち上げと立ち上げ支援をやってたんですけど、
中途半端になってどっちもうまく回らず、最終的に100万円近い借金を背負い挫折。笑
今思えば大した金額じゃないですが、
当時は絶望しました。(泣)
そんときがシェアハウスに絡んだ初めての時でこの前くらいに実はロングルーフも言ったこと会ったんですよね。
まだ床が貼られていなかった時に。
そのときにただお金を稼ぐだけのものはおもしろくないし、
でもただおもしろいだけのものもダメだって感じました。
んでそのあとその時に参加していたセミナーの講師だった人が若者の教育を変えたい!
という思いがあって、社会を変えるために必要なのは教育だ!みたいなことは漠然と考えていたので一緒にやることに。
最初てきとうにやってたんだけど、組織化してちゃんとやろうということで法人化して合同会社Memotimeとして登記。
(すでにブログに疲れてきているふじた)
ここらへんが一番カオスでしたね。
のっぽのカオス編ですね。
1日20時間位働いてたし、1日10人アポとかやってたし、食事も栄養素から計算してやってたり、掃除とかも細菌レベルでやってたりしました。笑
事業内容としてはイベント運営やコミュニティ運営。
主にコミュニティ運営で学生に月1万円でマーケティングとかマネジメントとかむつかしいことを伝えてました。
下の写真は嫌われる勇気の著者の人イケハヤさんとかも呼びました。
ただそんなカオスな生活が続くわけもなく、1年で鬱になり挫折。ちーん
鬱の時はすごかったですね。
目に映る全てが頭のなかで苦しみに変わっていく感覚です。
ってなって当分はうだうだしてたんですけど、
やっぱりおもしろいことがしたいし学生の可能性をもっと輝かしてみたい!
そう思って去年の9月に大きなイベントやって協賛とって東京から人も呼んでそれなりに盛り上がりました。
写真は最初のミーティングのとき。
なつかしー。
社会は複雑に要素がからみ合っていて何か一つを変えれば変わるものではない。
だからこそ、各分野のリーダーが生まれることが大事だ!
そう思って若者のリーダー輩出を志してイベント運営、コミュニティ運営、インターン開発などを行おうと思ってました。
ただ一番大事なインターン開発の部分でどうしても中小企業とうまく行かず挫折。がびーん
ここらへんかなりお世話になったのでおおっぴらにはかけませんが、
自分の中で思っていた社会を変えるということがすべての人の幸福に繋がるのか?
の部分に疑問を感じてしまいました。
本当に幸せな人生を送るためには何が必要なのか?
それは志なのか?ビジョンなのか?生きている意義を感じることなのか?
そう考えていた時にちょうど実家で作業するのがすごく寂しくて、
あ、シェアハウスやろ。ッて思ったんですね。
それで好きな人達と住んで一緒におもしろいことできたらたのしいだろうなー!
とも思って。
その想いに共感してくれてなっちゃんとがしまの三人で立ち上げることになって、
吉原さんたちに助けられてなんとかかんとかシェアハウスも形になってきたというわけです。
で少しずつ少しずつですが、過去の過ちの精算もできてきてて、
まだまだですが一歩一歩歩んでいけてます。
誰かに言われた今はいけなくなってしまった場所は本当にたくさんありますが、
だからこそいまは焦らず、背伸びせず、今関わってくれている人たちに思いやりを持って生きていくこともできるようになりました。
昔はいっぺんにすべてをやろうと思ってたけど、
ちょっとずつでいいなって。
でも今でもやっぱり誰かが嫌な思いをするのは嫌だし、
地球の裏側で殺されてる人がいるという事実はなんとかしないといけないとも思っています。
少しずつ、確実に、一歩一歩。
ネタみたいに失敗ばかりの人生ですが、まあそれはそれであり!